大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪高等裁判所 昭和44年(行コ)46号 判決

大阪市東住吉区田辺東の町四丁目二六番地

控訴人

高野宇三郎

大阪市東住吉区中野町一三三番地

被控訴人

東住吉税務署長

蔦泰憲

右指定代理人大蔵事務官

河合昭五

村上睦郎

宮本益実

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴人は、「原判決を取り消す。被控訴人が控訴人に対し昭和四三年七月二〇日付をもつてした昭和四二年分所得税の再更正決定を取り消す。」との判決を求め、被控訴代理人は、控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上および法律上の陳述ならびに証拠の関係は、控訴人において別紙準備書面写(二通)記載のとおり陳述したほかは、原判決事実摘示と同一であるから、これを引用する。

理由

控訴人が当審で主張するところも、原審におけると同じく、要するに、婚姻中夫名義で得た所得は夫婦の所得であり、この関係をありのままに申告したのにかかわらず、夫だけの収入であるとして所得税を課するのは憲法に違反する、というのである。しかしながら、婚姻中の毎年度の所得課税について、夫婦の一方の所得を夫婦間に分割し、夫婦別々に課税するのでなければ、憲法第二四条第一項に違反する、とまではいうことができない。このことは、控訴人自ら過去二回にわたり提起した本件と同様の訴訟の上告審として、最高裁判所が繰り返し判示したところである(昭和三六年六月九日大法延判決、昭和四二年九月二八日第一小法延判決)。

右のように付加するほかは、当裁判事も、原判決が詳細に説示するところと同じ理由により、控訴人の本件訴えのうち、総所得金額七五一、一〇〇円以下について取消しを求める部分は不適法として却下し、その余の本訴請求は失当として棄却すべきものと判断するから、右説示の記載をここに引用する。ただし、原判決七枚目表三行目に「更更正決定」とあるのは、誤記であるから、「再更正決定」に訂正する。

よつて、右と同旨の原判決は相当であるから、民事訴訟法第三八四条、第九五条、第八九条に従い、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 村上喜夫 裁判官 賀集唱 裁判官 潮久郎)

控訴人第一回準備書面

大阪地方裁判所昭和四十三年(行ウ)八八四号

所得税処分取消請求事件の判決

において原告の申立て棄却された(昭和四十四年十月二十三日判決言渡)ことに不服である。

というは右判決は最高裁判所大法延判決(オ)第一一九三号を骨子にした判決で、それには同判決文二枚目末行より二行目以下に、

次に、民法七六二条一項をみると、夫婦の一方が婚姻中自己の名で得た財産はその特有財産とすると定められ、この規定は夫と妻の双方に平等に適用されるものであるばかりでなく、所論のいうように夫婦は一心同体であり一の協力体であつて、配偶者の一方の財産取得に対しては他方が常に協力、寄与するものであるとしても、民法には、別に財産分与請求権・・・等の権利が規定されており、右夫婦相互の協力、寄与に対しては、これらの権利を行使することにより、結局において夫婦間の実質上の不平等が生じないよう立法上の配慮がなされているということができる。以下略する。

この大法延判決に次の三ツの疑点がある。

一、夫婦がハツキリ掴まれていない。

二、過・現・未ハツキリしない。

三、実質上不平等が生じないよう立法上の配慮がなされている。

一、男と女とは対立である。その対立が男女互にまことを尽しあうことにおいて真の夫婦が実現する。昔から夫婦は一心同体と呼ばれるはこのことである。控訴人及び具妻はこのまことを尽しあうことのありのままを所得申告したまでで被控訴人の考え方は旧態依然封建思想のよくない面そのままで、民主主義憲法に違反する明らかである。

二、前記昭和三十四年(オ)第一一九三号判決 昭和三十六年九月六日

理由 同判決理由二頁ウラ三行目以下「民法には、別に財産分与請求権、相続権ないし扶養請求権等の権利が規定されており、右夫婦相互の協力、寄与に対しては、これらの権利を行使することにより、結局において夫婦間に実質上の不平等が生じないよう立法上の配慮がなされている云々」は結果に俟つて云える未来の可能性のことで現実の是非判断には何等関係のないことである。

三、この実質上不平等が生じないよう立法上の配慮がなされているとは、その配慮がなされていないこともあるということ前節にいう可能性にすぎぬということで、控訴人等のいう現実の判断にならぬ。現に立派に独立していても老いたる親をたらい廻しにし親は安住の地なく気の毒なのを見聞きせらるる通りである。又婚姻後数年を経て裸同様に叩き出されるそれが社会的に文化人知識人といわれる人がこのようなことを敢てすることを見かける。こういうことが民主主義の憲法下で許さるべきだろうか、実は神戸で或る壮年の知識人がこのようなことを敢行したことが此の訴訟の動機の一つだつたのである。

控訴人第二回準備書面

次に民法七六二条第一項の規定をみると、夫婦の一方が婚姻中自己の名で得た財産はその特有財産とすると定められ、この規定は夫と妻との双方に平等に適用されるもの云々。

憲法二四条にいう相互の協力とは男だけがまことを尽すということではない。同時に女も真事を致すということである。このまことを尽しあう相互の協力とは男一女一を含む全体それ自身が、自分で自分を決定する全体の自己限定ということである。その全体の自己限定一こそがこゝにいう真の夫婦一で、それが社会や国さては文化を建立する絶対的基本単位一、であり、古来言伝えられる夫婦は一心同体といはれるはこのことである。

此夫婦において男を夫と云い、女を妻と呼ぶ。夫婦をはなれれば夫なく妻もない。タヾの女と男とである。ゆえに又夫あれば妻あり夫婦厳存する。夫婦・夫・妻とはこのような現実である。尚夫婦関係とは男女ともに固く契合う間柄のことで、タヾ男・女の俗にいう野合の関係にあることではない。従つて夫婦においては夫・妻は固定的である。

右の内最初三行目迄は最高裁判所大法延昭和三四年(オ)第一一九三号判決の二丁目表末行より二行以下の抽き書きで、四行目以下は控訴人の主張である。

以下大法延判決によると

一、まことを尽しあうお互の協力に欠けてゐるか。

二、いはれる夫婦即ち夫妻即ち夫妻とは抽象的な言葉にすぎぬかで。

一、ならば結局妻の名で得ようと夫の名で得ようとそれは夫婦所得ではない。本件の問題を逸している。

二、ならば論ずる迄もなく夫婦・夫・妻といつてもそれらは辞書にある言葉で現実をいう本件の問題外である。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例